生涯一放射線科医の日記

~昭和・平成・そして令和~

終わりの始まり:ブログを始めるにあたり 

 平成の終わり、人間ドックで̻■■■の異常を指摘された。CTで精密検査の結果、自分で進行■■■がんの疑い(余命1年以内)と診断した。自分で自分の画像を診断することは辛い。幸い穿刺組織検査で悪性はでなく■■■炎の疑いとなった。嬉しい誤診だったがまだ安心はできない。中にがんが隠れている可能性が残っている。

 私たちの仕事は、他科の医師に「読影レポート」という画像解析報告書を書くのが仕事である。少しでも悪性が疑われる場合は、悪性を疑うと報告する。そうでないと、良性と断定して結果が悪性だと完全な誤診であり、患者さんに大変な迷惑をかけることになる。悪性を疑い、結果が問題なかったときは誤診ではあるものの「よかったですね」ということができる。

 若い先生は、経験が浅いため自分の診断に自信がないため、「〇〇悪性の疑い」と書くと、患者さんに余計な負担や心配をかけると思い悪性の疑いがあるのに、良性と書いてしまう傾向がある。後に悪性だったとわかると大変なことになる。なんでもかんでも悪性の疑いもこまる。悪性疑い、良性疑いの線引きはトレーニングと経験が必要である。

 平成の終わりとともに人生の終わりを覚悟した。幸いとりあえずは生き延びることができたが、もういい年である。終わりが始まったということだろう。

私が消える。私が放射線科医として生きてきて得た知識、技術、見てきたこと、感じたことも消えてしまうと残念だ。自分が長年苦労して得たことは、今では短時間で伝えることもできる。後に続く人たちが同じ苦労をすることはない。後進にすべてを伝えて、後進がそこから進んでくれれば放射線科はどんどん進化していくはずである。

自分が生まれ変われるものならば、油の乗った卒後10年ぐらいからやり直してみたいものだ。

(2019-5-11)