生涯一放射線科医の日記

~昭和・平成・そして令和~

素晴らしきかな放射線科医~学長・病院長になった放射線科医達~

放射線科医はその診療を通してほぼ全科と関係する。カンファレンス、そして診療でお互いの意見を言い合い、切磋琢磨している。患者さんのため、お互いが協力し助け合う必要があるため仲がよい。その結果、放射線科医はいろいろな科のの医師と親しくなり、また各科の事情について知ることになる。

放射線科の科長、大学では教授は、放射線技師、看護師、事務職など、協力して放射線科を運営しなければならない。大所帯である。組織運営をうまくやらねば崩壊する。

放射線科が素晴らしいところの教授は、組織運営,人事、管理の才能に長けている。そして、放射線科だけでなく病院を良くしようと考え病院管理にも興味がでてくるのだろう。上へ上へと登っていく。

すごい先生達ばかりである。

 

聖マリアンナ医科大学学長:藤井正道先生(出身:慈恵医大

1970年代の日本の放射線科のなかで、院内のすべての画像診断を放射線科で行うというアメリカ的な放射線科をマリアンナ医科大学に作った。素晴らしい施設、組織であった。救急放射線、IVR当初から放射線科が行っていた。その組織運営、精神は石川徹教授、中島康雄教授に引き継がれた。

佐賀医科大学学長:松浦啓一先生(九大)

九州大学放射線科3代目の教授。1970年代アメリカ帰りのサブスペシャリティをもった優秀なスタッフが多数いた。九州大学放射線科で光輝いていた。中田肇産業医科大学教授など多くの教授を輩出した。

九州大学放射線科教授室には「荊棘の道と知りつつわけ入りし この荊棘の道を愛したまひき」という言葉が掲げらている。

http://www.radiol.med.kyushu-u.ac.jp/wordpress/wp-content/themes/radiol/images/department/greeting/yhk.pdf

私が放射線科の道を選んだ1970年代も放射線科はまだ荊棘の道だった。

今は、CT、MRIのおかげもあるが、困難のない平坦な道を歩むことができているのは先人たちの努力のおかげである。先人たちの苦労を忘れてはならない。

順天堂大学学長:片山仁先生(九大)

松浦先生の愛弟子。ヨード造影剤の片山レポートで有名。放射線学会総務理事ととして1970年代から80年代放射線科の近代化に尽力された。豪傑だった。

聖路加国際病院長: 野辺地篤郎先生(千葉大

1970年代聖路加病院では、すべての画像診断を放射線科が行うというアメリカ的な放射線科診療が行われていた。アメリカ的なレジデントシステム、教育が行われていた。放射線診断は放射線科医がすべきだという確固たる信念をもち、平松慶博教授(東邦大学)蜂屋順一教授(杏林大学)藤岡睦久教授(独協医大)平木祥夫教授(岡山大学)玉川芳春教授(秋田大学)などに放射線診断に対する野辺地イズムを伝えた。またトランスクライバーによる口述筆記の普及に努めた。春の日本医学放射線学会を大学教授以外で主催した唯一の先生。

 

香川医科大学学長:田邉正忠先生(岡大-香川医大

川崎医科大学学長:福永仁夫先生(京大-川崎医大核医学

貝塚市民病院長:小塚隆弘先生(阪大)

神戸大学病院長:木村修二先生(神戸大)

宮崎医科大学病院長:渡邊克司先生(九大-宮崎医大

北海道大学病院長:宮坂和夫先生(北大)

和歌山日赤病院長:平岡眞寛先生(京都大)

置賜総合病院院長:山口昂一先生(山形大)

京都医療科学大学学長:遠藤啓吾先生(京大ー群馬大)

彩都友紘会病院長:中村仁信先生(阪大)

三重大学病院長:竹田寛先生(三重大)

関西医科大学病院長:澤田敏先生(関西医大鳥取大―関西医大

神戸大学学長:杉村和朗先生(神大-島根医大神大

加古川医療センター長:小川恭弘先生(神戸大ー高知医大

国際医療福祉大学学長:大友邦先生(東大)

県立中央病院長:細谷貴亮先生(山形大) 

岡山大学病院長:金沢右先生(岡大)

金沢大学病院長:蒲田敏文先生(金大)

 

内容に間違いがありましたら申し訳ありません。どうぞご指摘ください訂正いたします。

ほかにも多くの先生がおられるとおもいます。もしご存じの先生がおられましたらコメントに記載していただければ幸いです。追記していきたいと思っています。